認知症の母がいなくなったと知らされた日、警察に連絡するまでの記録

体験談・日常

アルツハイマー型認知症である62歳の母の、初めての失踪のお話です。

父の61歳での転職

父は今の会社に入ってから10数年、正月休みの3日間以外は大型連休もなく、毎週日曜日しか休みもない。労働時間も夜中1時くらいから昼15時くらいまでという過酷労働の大型トラック運転手でした。

いつも「しんどい」が口癖で、元々お酒が好きな人ではありましたが、ストレスからか休みの日は昼からお酒を飲んでは夜にふらふらになってようやく寝る、という生活でした。

母が「若年性アルツハイマー型認知症」と診断されてから、銀行関係も手がつけれなくなり、お財布の管理も父がするようになりました。

そこで初めて「少し収入が減っても生活できる」と分かり、知り合いからタクシー運転手を紹介してもらい転職を決断したそうです。

父の不安とストレスの爆発

転職を決めたものの、タクシー運転手になるためには2種免許の取得が必要でした。

実技はいけても、61歳での学科試験勉強は相当しんどいものだと思います。

教習所でも、昼前から夜22時くらいまでのほぼ半日を費やし、1人で買い物にいけなかった母も一緒に買い物に行ってくれる人がいないので一人で行かなければならないというミッションを課されました。

慣れない勉強と、これからの不安で日々を過ごしていた父。1日目の教習が終わり帰宅すると、ご飯も作ることが出来ない母は、結局買い物も行けず、家にあったラーメンで夜ご飯を済ますことなりました。

父

明日はちゃんと用意しといてよ!?

そう言い、2日目の夜帰宅すると、用意されていたのは「ポテトサラダと白ご飯」

父

こんなん食べれんわ!なんでこんなんも出来ひんのよ!!

と言ってしまった父。いっぱいいっぱいだった父から出た最低な言葉を、母に浴びせてしまいます。

23時に鳴る電話

寝ていた私は、頭の横で震える携帯を手に取り、父の名前が表示されているのを見て、すぐに異変を察し、心臓がバクバクし始めました。

父

お母さんがもう1時間くらい帰ってこんくて、、、

事の経緯を聞き、父に対し苛立ちが拭えませんでしたが、苛立ちよりも母を探すことを優先しなければと平常心を保とうと必死でした。わたしは実家からフル高速でも3時間かかるところに住んでいて向かうことが出来ないので、

美穂
美穂

とりあえず今すぐ警察に連絡して捜索してもらって!

と言いましたが、「そこまですることかなぁ~…」な感じが出ていて、もうそれはそれはイライラしました。。

母は関西人+在日韓国人で、口調も強く性格も強く思われがちですが、本当は気が弱く、思っていることもなかなか言えない性格なんです。

昔「かぁがボケたら、もう意識あるうちに自〇するわ~」なんて公言していたので、わたしは心配でなりませんでした。どうして近くに住んでいないのだろうと後悔しまくりました。

そして父もようやく観念して警察に連絡します。

→つづく(※このあと、母は見つかります。その時のことは、次の記事で書こうと思います。)

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